4WD-ヨンダブルディ-

美容師とお客さんと酒と話

インタビュー

第8回 古着屋オーナー ナガクラヨウヘイ 前編 〜よっちゃんイカよりも〜 @RENGA

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ceasevenの代表である合渡慎介が、他業種のお客様と酒を酌み交わしながらダラダラ語る、誰が得するのか分からない見切り発車企画。
第8回目の今回は、古着屋オーナーのナガクラヨウヘイ氏。
高円寺の古着屋「RENGA」はceasevenとコラボしてサロン内でShop in Shopを展開。
今回はRENGAにお邪魔しての対談。

ナガクラヨウヘイ

ナガクラ(以下:N)、合渡(以下:G)

– オラこんなツラいやだ

G:ようやくRENGA来れた〜!
今日はお店使わせてくれて感謝です。
駅前からレンガまで来たらすごい飲み屋ばっかりだね!
高円寺も楽しそう〜〜。
よく飲んだりしてるの??

N:ようこそ!!RENGAヘ!
今は埼玉の地元に住んでて、11時が終電だからなかなか飲む機会はないですね。
なので
お店10時までなんで店で飲んじゃいます!

G:今、夜の9時半ぐらいなんだけど。
実はまだRENGAは営業中なんだよね〜。
たくさんお客さなんいる中、なんか申し訳ないっす。
みんな、何やってるんだろう??って感じだろうね。

N:大丈夫ですよ!
ゆっくり見ていってくださいね〜〜。(お客さんたちに)

G:4WDの対談でいろんなジャンルの人が遊びに来たんだけど、確かファッション系は初めてかも!
美容とファッションってすごいリンクしていて、仕事も似ているところあるから、今日は色々深良い話が出来るんじゃないかな?

N:なんか緊張するっすね。
頑張ります!

G:俺の腕でナガクラ君の良いとこジャンジャン引き出しちゃいますよ〜!
なんせ、もう8回目だからね。

N:まだまだじゃないっすか!(笑)
もっと頑張ってくださいよ〜。

G:お、おぉ。ceasevenに来ている人は知ってると思うけど、今、ヘアサロンの中で古着を販売していて。
それをプロデュースしてくれてるのが、ナガクラ君なんだよね。
スタートしてまだ半年ぐらいだっけ?(収録当時2019/6)
そこの経緯を詳しく聞かせてよ。

N:RENGAとceasevenを繋げてくれたのは、僕の幼馴染の「クマ」ってやつで。
中学の学習塾で一緒だったんです。
俺はその頃からファッションに興味があって、同じ塾のヤツがその当時のリーバイスのレプリカとかエアマックスとか履いてて。
それが最初の出会いでしたね。

G:中学でエアマックス履いてるとかやばいね。
俺はサッカー部なのに、プライベートはバッシュの「ユーイング」履いてたけど(笑)

N:やばいっすね!
で、そこから5年ぐらい会ってなくて、再開したのが大学の入学式で。
偶然に同じ大学の同じ学部でした。
久々に会ったら好きなことが結構近いんで、そこからさらに仲良くなって。

G:同じ大学にたまたま?

N:そうっす。
学科も一緒だったんで、通う校舎も一緒で。
経済学部です。

G:あ、俺も一緒!
経済学部だよ。
中退だけど・・・。

N:へー、そのツラで大学行ってたんすね!

G:えっっっっっ????

N:あ、すんません。(笑)

– アメリカザリガニはアメリカ産か?

G:仕切り直して・・・どういう流れで古着屋の業界に入ったの?

N:中学の頃はヴィンテージブームで、裏原が人気でした。
常に洋服は好きで、色々見てましたね。
そこで高校に入って当時美容師に憧れてて・・・・。
16,7歳の時。

G:高校?16,7歳??
それって、もしや。。。ビューティフルライフの時?

N:そうなんすよ・・・。
言いたくなかったです。(恥)

G:ミーハーど真ん中じゃん!!
俺は当時すでに美容学校通ってたよ。
ナガクラくん、だいぶモテたかったんだろうね〜〜?

N:モチロンっす!
オシャレしたかった。

本当に美容師になろうと思って、美容師の専門学校行こうと思ってました。
でもそこで親に「大学を出て、本当に行きたかったら自分でお金貯めて行きなさい」って。
でもそれは本当に良かったと思います。
大学って生徒がいろんな所から来ているから、これまでとは違う出会いもあるし、いろんな影響を受けた。
音楽もハイスタとか勢いがあった時代で、古着も音楽も色々教えてもらって好きになっていった感じですね。
大学の時、古着業界で働きたいって思って、卒業後に服飾の専門に行こうと思った。

バイトして金貯めて、専門の入学準備をしていた時に、アルバイト先で出会った人がアメリカで日本の古着屋に卸しをしてて。
「アシスタント的な事やらないか?」って。
大学卒業して、そのまま3年ぐらいアメリカに行こうと思ってました。

G:英語はできたの?

N:なんとかなるし。
得意も不得意もないっす!!

G:なんだそれ。(笑)
で、そのままアメリカ行った?

N:アメリカには行ったんですけど、クソガキだったんで今思えば甘かったっすね。

G:甘いって、アメリカ生活が?

N:いやいや、違うっす。
その甘さってていうのは、
古着が好きだっただけで、深いところまでの知識とかまだまだで。
ピック(商品をセレクトする意)とか全然できなくて。
クライアントから欲しいアイテムの注文が入るんですけど、それに見合った商品をピックできていなくて。
結果を出せなかった。

社長から「これじゃちょっとダメだぞ」って。
センスや知識が足りなかった。
良いと思ったてモノがそうじゃなかった。
それで、1ヶ月で日本に帰ってくることに。

G:そうか〜〜〜〜。
そう簡単にはいかないってことか。
その「ピック」ってどうやって勉強するの?

N:古着屋で働かないとわからなかった。
そのタイミングの力量では無理だった。
アメリカに行く時に、友達に盛大に送り出してもらって。

3年行くつもりだったから。(笑)
みんなから、良いZippoもらったんです。
でも、アメリカの空港で機内に持ち込みできなくて、没収されちゃいました。

G:え!!!
友達からの大切なジッポーを??
手荷物じゃなくて、預けたら良かったじゃん!

N:俺も「友達からもらった大切なプレゼントだから!」って拙い英語で話したっすけど、ダメでした。

G:得意も不得意もあるじゃん。1ヶ月という長い期間(笑)アメリカで修行してきて、日本に戻ってきてから怒涛の活躍が待ってた??

N:嫌な言い方するな〜〜。(笑)
実はそのあと2ヶ月ぐらいニートしてて。
何もしてなかったっす。ザリガニ・・・・

G:なに???
ザリガニ???

N:その2ヶ月間ザリガニ釣りばっかやってました。
暗黒の2ヶ月間です。
よっちゃんイカもいいけど、エビの方がが釣れるんすよ!!

G:その情報どーでもいいわ。(笑)

 

– 将来オシャレなCafeとかやろうかな〜的な

G:好きと求められるものが違う。
カリスマなら好きなものを集めればいいけど。
そうでないなら、求められるものをピックしないと仕事にならないってことね。

N:古着屋を出したいって思い始めた頃は、好きな古着だけを集めて陳列して、のんびり好きな音楽でもかけて知り合いが来てくれたらいいな〜、とか思ってたすけど。
それって今思ったらめちゃくちゃ恥ずかしい。
そんなのじゃ仕事にならないし。

G:おしゃれな女の子が「将来カフェやりたい!」って言うのと同じだね。
上澄みしか見えていない感じが。
大人になるとわかるよね。
「お金じゃないよ」って言う大人は、実際ちゃんと稼いでる。

N:あーそうかもしれない。
間違いないっすね!

G:俺も独立する時、金儲けなくてもいいから、自分のやりたいスタイルを貫こうと思って。それで1人でマンツーマンスタイルでヘアサロンを始めた。
そうすれば、「俺も幸せで、お客様も幸せ」って思ってた。
でも、それはやってるうちにダメだって分かって。
お金を稼がないとやりたいことも出来ないし、お客さんの満足度も上がらない。
ちゃんとビジネスするって大事なことだよね。

N:大事っすよね!
ぼーっと生きてちゃだめなんだって、その時思った。
アメリカの卸の会社3年働いて、日本帰ってきたら古着屋できるって勝手に思ってた。
でもダメってわかった。
今思えば、そりゃそうだろって。
その後、2ヶ月のサリガニ期を経て、今後
どうしようかと考えた時、やっぱり古着屋やりたいなと思って。
考え改めてと言うかしっかり勉強して。
好きなこともできるようにちゃんとビジネスとしての古着屋をやりたいって。
22歳の時ですね。

G:それは早いね。

N:大学入って古着が好きになった時から、古着屋をやろうとずっと思ってた。
ただその理想形はどんどん変わって来ましたけど。
初めは、友達が来て好きな音楽かけてのんびりできればいいなって思ってましたけど。
ビジネスとして成り立つ古着屋にしたいなと思うようになった。
勉強するためにはいろんな古着屋さんで働かなきゃいけないなと思って、原宿でも働いたけど、そこは薄利多売のスタイルの店だったから、自分がやりたいスタイルじゃないなと思って。
でも、学ぶことはたくさんあったから、今では良い経験したなと。
自分で店をやるなら、1人1人を大事にするスタイルがいいなって思ってました。

G:美容室と同じかもね。
そう言う想いがあるから、ナガクラ君とは気があうんだと思うよ。
勝手にね!(笑)

後編に続く

RENGA

東京都杉並区高円寺南4-39-9宮澤ビル1F

営業時間
15:00 ~ 22:00

http://renga-tokyo.com/

-インタビュー

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